家政と台所(1)
生活改善運動と現実のギャップ

大正から昭和にかけて、日本の台所とその使い方は大きく変わりました。食事を作り・食べる人たちの社会的地位や考え方の変化にあわせて、台所のシステムや道具類もまた変わっていったのでした。戦前の文献や雑誌・広告を紹介しながら、家政と台所の変化をたどります。
早川タダノリ 2026.08.23
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近代的な台所設備を家庭に導入することを国として大々的に奨励し始めたのは、1920(大正9)年に文部省の外郭団体「財団法人生活改善同盟会」が設立されて以降だと言われています。

ヨーロッパでは第一次大戦後に急増した住宅需要に対応するために、大規模公営住宅(団地)の建設がすすみ、「フランクフルト・キッチン」など現代にも通じる近代的な家庭用台所設備が開発されました。そうした世界の潮流と軌を一にして、同時期の日本においても住居・家屋の改善が呼びかけられていったのでした。

生活改善同盟会が出版した『新しい台所と臺所道具』(同会、1928年)では、田園調布や鎌倉、高輪など高級住宅地に建てられた上流家庭のお屋敷にしつらえられた美しい台所の見取り図が添えられていました。

例えば下に掲げた「矢木久太郎氏邸御臺所設計図」は、「当家の台所は台所第一義の趣旨が徹底的」、「台所の中央に調理台と熱料理台を置いたことは四方から使ふことが出来まして大変に便利であります」、「衛生便利で能率的な現代模範台所」と絶賛されていました。

矢木久太郎農学博士は醸造技術師見習いとしてドイツへ留学し、のちに札幌麦酒(現在のサッポロビールの前身のひとつ)の取締役を務めた人物。醸造業に携わる博士ならではの台所への関心の高さがうかがえます。もちろん、この台所を使って料理をつくるのは「女中さん」たちで、下の図の奥に見えるキッチンキャビネットの甲板は、引き出せば「女中さんの食卓(ランチテーブル)」としても使ったとあります。

生活改善同盟會編『新しい台所と臺所道具』(同会、1928年)より

生活改善同盟會編『新しい台所と臺所道具』(同会、1928年)より

けれども、「生活改善」の旗印のもとで提示されたスバラシイ台所プランの数々について、次のような批判も提起されていました。

家事教科書の編集者だった林勇記は、その著書『農村家事教育の建設』(大同館書店、1932年)でこう書いています。

学校の家事教育で理想的な台所のあり方をいくら教えたとしても、「児童生徒の現実の生活を如何ともして呉れない場合が多い」、地方の農家の生活にどうやって適用すればよいのかと厳しく批判したのです。林は「都市的俸給生活者向台所設計設備の研究も結構であるが、農村に於てはもつと現実に即した生活研究―台所活動―の研究がなされなければならないと思ふ」(73頁)とも述べていました。

モダン台所の理想像と地方や農家の生活との乖離は、その出発点から指摘されていたのでした。

本記事は(一社)日本厨房工業会の月刊『厨房』2025年4月号に掲載したものを再編集したものです。

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日中戦争期の「明治節」ってこんな感じでした